「外環の2」とは?

今から約50年前の1966年に「東京外かく環状道路」(「外環」)が計画されました。「外環の2」は高架式高速道路(「外環」本線)の真下を通る一般道路として計画。しかし、住民の強い反対により、「外環」の建設計画は長いあいだ凍結されてきました。その間に、建設計画地一帯はいっそう宅地化・都市化が進んでいます。

 2007年に高架式から大深度地下方式に変更し、「外環」建設の計画は再び動き出しました。高架式の何倍ものコストをかけてまで地下方式に変更した理由を考えれば、高架を上に載せるのが目的の「外環の2」は本線の地下化と同時に消滅したと考えるのが普通です。実際、当時の扇千影国交大臣や石原前都知事は地元住民に対して「ご安心ください、ちゃぶ台を土足でまたぐようなことはしません」と発言していました。「外環」の計画線上に住んでいる地元住民も地下化により立ち退きはなくなったものと思っていました。ところが東京都と練馬区は、「外環」本線は地下化しても地上の一般道路の計画はそのまま残っているとして、地上道路の建設を進めようとしているのです。

 

石神井周辺の「外環の2」道路予定図
石神井周辺の「外環の2」道路予定図

もう決まっているの?

国交省が事業主体の「外環」本線については国会での承認を受けて2012年秋に着工式が行われましたが、東京都が事業主体である「外環の2」についてはまだ決定していません。

事業主体の東京都は、当該の市区(練馬区・杉並区・武蔵野市・三鷹市)の住民と必要性やあり方について、話し合いをした上で方針を決定するとしています。杉並区・武蔵野市では話し合いは継続中、三鷹市では始まってもいません。しかし練馬区においては「話し合いの会」を6回開催し、終了したとしていますが、地元に住んでいてさえもこの問題を、ましてや「話し合いの会」が開催されていたことを知らない住民は大勢いて、理解を得られたとは到底いえません。また都が方針を決定する条件もまだ整っていません。

そんな中で練馬区だけが「外環の2」を前提とした地区計画のプランを推進しようとしています。区民の思いを汲もうとしない区の姿勢が浮かび上がっているのです。

 

 

方針も出ないのに事業認可?

2012年9月、「外環の2」の北の起点(目白通り)から南へ1㎞(前原の交差点まで)の区間について、東京都の申請を受けて国交省が事業認可を出しました。「外環の2」をどうするのか、方針さえまだ決まっていないのに認可されたのです。その矛盾について今後も追求していく必要はありますが、東京都の担当者も「この1㎞区間を以って既成事実化しない」「ここより南側はまた別の話」と説明会で言明しています。「一部地域で土地の買い上げが始まっているからもう決まってしまったのだ」「今さら意見を言っても無駄なんだ」というわけでは決してありません。

 「外環」本線に加え「外環の2」の巨大道路の計画は「自分の家にはかからないから関係ない」「できる頃には生きているかどうかわからないから関係ない」といった個人のレベルの話ではありません。少子高齢化の中、縮小社会にどのようにソフトランディングしていくかという高い公共性をはらんだ問題です。地域のために、練馬区のために、東京都のために、日本のために、どうすることが一番いいのかみんなで考え、意見を伝えていくことが必要ではないでしょうか。